「扱い方は理由で決まるかもしれません」
最近、身の回りのものに手をかけることが増えました。
ちょっとした配置を変えたり、
少し手を加えてみたり。
正直、最初はそこまで気に入ってたわけじゃないんです。
「まあ、こんなもんか」くらいの感覚で。
でも、不思議なもので。
手をかければかけるほど、
だんだんと見え方が変わってくる。
少し使いやすくなったり、
ちょっと雰囲気が良くなったり。
その積み重ねで、
気づいたら「悪くないな」って思えてくる。
むしろ、前より好きになってる。
逆に、あんまり手をかけてないものって、
どこか扱いも雑になる気がしていて。
例えば車でも、
気に入ってる車だと自然と丁寧に運転するし、
あんまり思い入れがないと、どこか雑になる。
ぶつけやすかったり、扱いも荒くなったり。
あと、これもあるなと思っていて。
人からもらったものももちろん大事なんですけど、
自分で選んで買ったものとか、
自分で手をかけて作ったものって、やっぱり特別で。
旅行先で陶芸体験して作った湯呑みとか、
正直そんなに使ってるわけじゃないのに、捨てられない。
たぶんそれって、物としての価値というより、
そこに乗っかってる“記憶”とか“過程”があるからで
何を選んで、どう手をかけてきたか。
そのストーリーごと、大事にしてるんだと思います。
これって、物だけじゃなくて、
体も同じだなと感じます。
自分の体に手をかけている人ほど、
無理な使い方をしなくなるし、
ちょっとした違和感にも気づける。
逆に、あまり気にしていないと、
無理を重ねてしまったり、
結果的に崩れてしまう。
最初から好きだったわけじゃなくてもいい。
手をかけていく中で、
だんだんと愛着が生まれて、
扱い方も変わっていく。
手をかけるって、
ただ整えるだけじゃなくて、
関係をつくることなんだと思います。
一つ一つに、少しだけでもいいから、
物にも体にもストーリーを持たせてあげれるよう過ごしていきたいですね。
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