「分人」
先日聴いていたラジオ番組で、心に響く内容があったので、今回はその事をコラムにしたいと思います。
皆さんは、やっていたパズルのピースを何処かに無くしてしまった事はありますか?
そうすると、そのピースのせいでパズルは完成しなくなってしまいます。
そんな時、その無くしたピースを送ってくれるサービスがあるのをご存知でしたか?
でもその無くしたピースの形をどうやって先方に伝えるのか?
そこに存在しない物の形をどうやって伝えるのか?
皆さんはどう考えますか?
答えはその周りを囲っている8個のピースを全て送るんだそうです。
それによってそこに存在しない物の形が浮かび上がってくる。
そんな話の流れから、人間も周りの環境によって形作られる、というようなお話でした。
興味をそそられたので、その番組で紹介されていた、「私とは何か、個人から分人へ」(平野啓一郎 著)という本を読みました。
それによれば、「個人」という言葉はもともと日本に存在しなかったそうです。
individual「もうこれ以上分けられない」という言葉を訳すために生まれた言葉のようです。
つまり「個人」のもとの意味は「分けられないもの」
身体だけではなく、その人の人格も。
その考えが中心にあるから、
仕事や対人関係で「本当の自分」とのギャップに苦しんだり、「本当の自分探し」のために旅に出たりする。
でもそもそも「本当の1人の自分」は存在するのか?
「個人」は分けられるのでは?
という問題提起により、「分人」という言葉を考えたんだそうです。
先程のパズルのピースのように、周りを囲む8面に対してそれぞれ向き合う8人の分人が自分の中にいる。
全てが本当の自分で、それらは互いに連絡を取り合い、影響し合っている。
例えば金八先生のように、生徒1人1人に向き合う沢山の「分人」を自分の中に持ち、トータルとしての信念は有りながらも、1人1人を活かすための指導が出来る先生なのか。
もしくは「個人」としての自分を押し付けるだけの指導なのか。
平等に接する事、公平なのはどちらなのか。
また、人は必ず他者の影響を受けてもいるし、与えてもいるもの。
だから私達の人格そのものが、半分は他者のお陰様で成り立っているという事。
だから「純粋無垢な自己」など存在せず、全ては相互作用の中で決定されているという、そんな考えを持つべきであるという事。
レッシュの基本コンセプトである、
個体差だけでなく、
「同一人物であっても日々の移ろいの中で変化をしている事に留意する」
というところともリンクする考え方で、
大変興味深かったです。
患者さん一人ひとりへの対応、その時々の立場によって変わる果たすべき役割。
自分の中に沢山の分人を持ち、他者に対しても、また自分自身に対しても柔軟に対応する事の大切さに、改めて気付かされました。 |