「銭湯清春湯への想い」
皆さま、こんにちは。
今週のコラムを担当させて頂きます中條雅章です。
宜しくお願いします。
デッカイお風呂、熱いお風呂が大好きだった親父。
野球少年だった頃、日曜日の夕方、荒川土手での練習を終え、泥んこまみれのまま、親父や友達と行った銭湯。
小さい頃は、銭湯の湯船で泳いだりもしちゃいましたね!笑
見上げると、いつもそこには銭湯富士山絵。
肩まで湯船に浸かり、1、2、3、、、10と数えながら眺めていた銭湯富士山絵。
大人になり、いつの日からか、自宅の狭い風呂場の壁に、銭湯富士山絵を描きたくなりました!
現在、日本にたった3人しかいない銭湯富士山ペンキ絵師。
そのうちのおひとり、80半ばの丸山清人先生に何度かご指導頂いた事があります。
その後、息子達と描いた数枚の銭湯富士山絵は、自宅の風呂場に「中條湯富士山絵」として飾ってあります。
自分にとって、銭湯のルーツ、銭湯富士山絵のルーツを考えて見ると、、、
生まれて間もない昭和40年代、各家庭にはまだまだお風呂がない時代。
親父とおふくろが結婚し、初めて世帯を構えたのが東京中野の弥生町。
当時、東京浜松町に住んでいた70歳になる父方のお婆ちゃん。
長い髪をお団子頭に結き、着物姿のお婆ちゃんに可愛がられてました。
生まれたばかりの孫の私をお風呂(銭湯)に入れる為、雨が降ろうが雪が降ろうが、毎晩まいばん山手線と丸の内線を乗り継ないで我が家に来てくれたました。
お婆ちゃんに抱っこされ、心音と子守唄を耳にしながら訪れた銭湯が、清春湯。
デッカイお風呂に、デッカイ富士山!
その時代の銭湯は、母親が身体を洗っている間、赤ん坊の面倒を見てくれるスタッフがいたらしいです。
赤ん坊時のその記憶が、銭湯好きになり、銭湯富士山絵を描きたいという気持ちになったのでしょうか!?
先日、銭湯清春湯の方にお話しをさせて頂き、
開店前に銭湯富士山絵の写真を撮らせて頂きました。
53年前の自分が、お婆ちゃんに抱えられて来たその空間。
やっと目が見え始めた頃に見た人生初めての富士山であり清春湯の銭湯富士山絵。
そんな原体験の記憶を辿りながら想いを込めて、この夏、夏休みの宿題として、清春湯の銭湯富士山絵をキャンバスに描きたいと思います。 |