「10年後のサンバ・デ・ジャネイロ」
皆さんこんにちは。
3月は卒業、お別れ、再出発のシーズンですね。
そんな事もあってか無くてか、過去の一口コラムのバックナンバーに目を通してみました。
すると丁度10年前の私のコラムで、格闘技の先生とのお別れを書いた回がありました。
私は23歳から29歳くらいまで、格闘技に打ち込んでいました。
始めは単身で、寝技研究会というマニアックな練習会に参加していました。
お互いの身体を密着させて技を掛け合う行為は、まるで身体という共通言語を使った対話のようで、「強い!」とか、「なかなかやるな!」みたいな肌で感じる感覚が芽生えます。
段々と親密になり、そこに参加していた方が属している別の寝技会にも出入りするようになっていきました。そしてその会にはキックボクシングを習っている人もいて、導かれるようにして次第にキックボクシングの練習会にも参加するようになりました。
前置きは長くなりましたが、そこで指導されていたのが、飛鳥塾という組織を率いている僕と同い年の野尻塾長でした。
打撃のノウハウを教わったのは勿論なのですが、1番大きかったのは、「追い込む」「気持ちを作る」という事を教えてくださった事です。
いくら技だけを磨いたとしても、試合という非日常の世界で力を発揮する事は出来ません。
1番最初に闘ったアマチュアの試合では、練習ではスタミナが切れた事など無かったのに、最終ラウンドで全く身体が動かなくなって負けてしまいました。
試合中に受ける肉体的精神的プレッシャーは非日常のものだったのです。
野尻塾長は試合が近づいた選手には「息あげ」という特殊な練習をしました。
通常練習後に、チーム全員でその選手をギリギリまで追い込むのです。
内容は立って踏ん張っている相手を相撲のように壁まで押し込む、バービージャンプや腿上げなどのアジリティ、ミットにパンチやキックを全力で打ち込む、など限界がきたところから更に檄が飛び追い込まれます。
休む事は許されません。
その苦しさの中で己に打ち勝つ事で、対戦相手が待つリングに上がる精神力を鍛えていただきました。
その練習の時にいつもかかっていた曲が「サンバ・デ・ジャネイロ」でした。
これは野尻塾長ご自身のリング入場曲でした。
伝家の宝刀左フックが火を吹けば相手が倒れる、不発ならば逆にやられる。
そんな派手な試合の塾長にぴったりな曲でした。
塾長が亡くなって10年。
今10年ぶりにその曲を聴いています。
「西澤さん行け!!」
「西澤さん負けるな!!!」
野尻塾長の力強い声が蘇ってきました。
改めて魂のこもった指導への感謝と、自分自身の人生という闘いへの決意を胸に、合掌。
一口コラムのバックナンバーは、ホームページで第1回からご覧いただく事が可能です。
お時間がありましたら是非。 |