「いろはの「い」」
「身体を動かしたときに、特に意識していないにもかかわらず自然と出てしまう特徴や癖というものがあります。」
こう書くと「4スタンスのタイプのこと」と思われるかも知れません。
確かにそれもありますが、今回はそれぞれの方がされている競技や専門種目などのことについて、です。
野球をしていた私でいえば、利き手(右手)は「投げるための手」で、反対(左手)は「取るため(グラブをはめる)ための手」になります。
ですので、仮にボールが自分の方に飛んできたらかなりの高確率で利き手ではない左手が咄嗟に出ます。しかし野球をしていない方の場合は利き手が出る確率の方が高いかもしれません。
また、目の前にいる人が突然顔に向かって拳を出してきたら反射的に目を瞑るか顔を背けると思いますが、ボクサーはしっかり拳を見た上でそれを避けると思います。
競技などを行っていく上で、上の2つの例のように、どうしてもそのために必要な動きが元来ヒトに備わった反応や動きとは異なったことが必要な場合も出てきます。
バレエや新体操をされる方は解剖学的な関節の可動域を超えた柔軟性を日々の訓練で会得されると思いますし、ラグビーにおいては普通で考えたらほぼ「事故」と思えるようなタックルが日々繰り返されることで、痛みとして感じなくなる衝撃に対する「慣れ(耐性)」が構築されていきます。
これらは、競技上必要ではあるのでそれをされている方からすると「当たり前」のことだと思いますが、そうでない人からしたら、長座で180°開脚して前屈して胸を床に着けたり、猛スピードで走って来る人を身をもって止めることやその痛みに耐えることは到底「無理で無茶」なことです。
競技や専門的なことは「非日常」に近い状況や環境に置かれます。噛み砕いていえば「普通はしない、出来ない」ことの連続です。
ですので良くも悪くも、
「特殊なことをしている認識を持てるかどうか?」
はとても重要です。特に子供や初心者を指導したりアドバイスをする場合に
「こんなの出来て当たり前」
「これくらい出来なくてどうする?」
というスタンスはお互いが幸せになりにくいです。
また怪我や故障明けは「日常的」な動きがままならない状態にあっても、その競技では「初歩的」な位置付けである動きや体勢であるが故に、結果として余計な負担や無理が掛かり復帰が遅れる、元の動きに戻らない等の不具合が生じる基となります。
特殊なことを基準とせずに、まずは
「ヒトとしてどうか?」
が大切かと思います。
今回を持ちまして、本年最後の廣戸道場のコラムとさせていただきます。
本年も一年間大変お世話になりありがとうございました。来年も何卒よろしくお願いいたします。
皆様どうぞ良くお年をお迎えください。
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