「絵になる」
先日、好きなアーティストが表紙を飾りインタビューも掲載されているという事で、とあるファッション雑誌を購入しました。
分厚く良い紙が使われている大層な作りで、雑誌なのに¥1600もしたりします。
小洒落たアパレルショップや美容室などに置かれているような、飾ってあるだけでアートな存在感を醸し出し、読み物というよりはセンスの良さや格好良さを売りにしているような感じの雑誌です。
雑誌の中身は、お目当てのページは僅かで、それ以外は1ページ1ページを贅沢に使って、
高級過ぎて購入できそうもない服やシューズの写真のページがあったり、
街中では大凡着そうもない奇抜なデザインの服や髪型をしたモデルが写っていたりと、
日常とは掛け離れたアートな内容でした。
パラパラとページをめくる内に、以前から気になっていた事ではあるのですが、
こういうアートの世界の良し悪しの基準って一体何なんだろう?
って改めて考えてしまいました。
勝負事で言ったら勝ち負けがあったり、数式には答えがあったりと、そこには良し悪しの明確な基準があります。
アートの世界では、
一見落書きみたいな絵が芸術と言われて高い評価を得たり、
奇抜過ぎて日常離れしたファッションショーが評価されていたり、
雑誌のモデルが一般的な美男美女というよりは、超個性的な容姿の人が多かったり、
そんな事が良くあるように思います。
これらは一体何を基準として良しとされているのか?
それぞれの特有な専門的分野を勉強する事によって初めて良さが分かるのか?
それをしないと分からないとすれば、一般的ではなく、一部の主流になっている組織の価値観の押し付けとも言えるのではないか?
など、色々と頭に浮かんでしまいました。
家内にそれを聞いてみたところ即答で
「絵になるかどうかなんじゃない?」
と言われました。
僕は、ふと出た端的な言葉に、妙に説得力を感じてハッとしました。
同時に、理屈や局所的な考え方を当てはめて、その狭い思考で判断をしようとしてしまっていた自分に気付かされました。
「絵になるかどうか」という視点に立つ事によって、人も構図も色彩も背景も全てを含めて見た、理屈ではない本能的な感覚を手にするという事が出来るんですね。
その感じ方は人によって違うとは思いますが、全ての人に通じる共通言語を得た気がして、理屈じゃない説得力に納得してしまいました。
Reash理論でも全体定理である、「正しく立って安定する」ということが全員共通の基本になります。
それが正しく出来ているかどうか、という視点を明確に持つ事が、その先の4スタンスという個体差の世界を自然に行う事に繋がっていくのですね。
「視点」をどこに持ってくるかで、物事を複雑にして真実を見えにくくしてしまうのか、シンプルに自分の感性に従って判断出来るのかが決まってしまうのですね。
その重要さに改めて気づかされた出来事でした。
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