「質」
みなさん、こんにちは。
例えば、「調理をする」場合には、食べる対象が自分であれ他人であれ、食べた時のことを想像するでしょうし、おそらく大多数の方が
「おいしくなるように」
と考えながら作業をすすめるでしょう。
「具合が悪くならなくて、お腹いっぱいになれば味や食感はどうでもいいや」
「食べられさえすればなんでもいい」
とはなりにくいですね。
また、「投げる」という動作についても、
特に野球に限定すれば、キャッチボールの基本は、
「取り易いようなボールを相手の胸に向かって投げる」
です。
「手に持っているボールがなんとなくそっちの方に行った」では上手とはいえません。
その上、投手が試合で相手打者と対戦する状況では、
「打たれないために、捕手のサイン通りのコースや高さに球威やキレのあるボールを投げる」ことが要求されます。
このように、「動作」や「動き」には自ずとその状況に応じた「質」というものが付いて回ります。
そして、これらの動作と同様に
「立つ」
ことにも当然「質」があります。
一見、アクティブに動いてはいませんし「調理をする」や「投げる」ほどその様子に個人差や違いを見出すのは難しいかもしれません。
しかし、上の例に倣って考えれば、
「食べられればいい」
「持っているボールが手を離れていけばいい」
とはならないように、
「倒れていない=立つ」
と考えてしまうのは、「立つ」の「質」を無視した考え方に他なりません。
ヒトの基本姿勢は
「二本足で身体を支えて立つこと」
「骨盤から上の、上体を起こしていること」
それを
「維持しつつ、脳(頭部)を安定させたまま動くこと」
が前提です。
教わらなくても物心つく前から始めて、普段何気なく行なっている
「立つ」。
その「質」に改めて着目してみては如何でしょうか?
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