「目的と手段」
みなさん、こんにちは。
先日の、原宿3Fでの出来事です。
高校生男子が野球のパーソナルトレーニングを受けに来られました。
既にかなりの回数を受けているので、一通りの事は出来る様になっていて、上達のお手伝いをする側としては嬉しい限りです。
本人もとても真面目で、学校での練習後の疲れた状態でも、汗だくになってこちらの提示するメニューに取り組んでくれますので、こちらも非常にやり甲斐があります。
ただ、教わった事を踏まえて「綺麗に行おう」というか「フォームにこだわる」気持ちが垣間見えて、いまいち動作における迫力が欠けてしまう傾向がありました。
そこで、
「そのランナーがホームに帰ったらサヨナラ負けの状況で、自分のところにボールが飛んできた時にバックホームする気持ち」
でスローイングの練習をしてもらいました。
すると、身体諸共ボールと一緒に飛んで行きそうな、悪い意味では無く「投げ終わったあとの事なんか気にしてられるかっ!」と言わんばかりの前につんのめる態勢の、豪快な「崩れっぷり」のフォームになりました。
そこで、こちらが言葉を発する前に本人が「あっ!」と気づいた顔をしたので、「そういうこと!」の一言でこちらの意図が伝わったことを確認しました。
そうなんですよね。
「絶対にアウトにしなければならない」のならば、「投げ方」なんてどうでもよいのです。
「アウトにする」という目的のためには、「いち早く正確で強いボールを投げる」しかなくて「綺麗なフォームで投げる」ことは考えるべきではないのです。
極論すれば、
「目的達成のためなら手段は選ばない」
ということです。
そして、そのような状況では
「目的のために集中していれば、それに必要なことは自ずと出てくる」ようにしておかなければならない、ということです。
「正しい動き」のために「正しい準備」をするのは、「いざというときのための爆発力」のためでもあると思います。 |