「常識と非常識」
みなさん、こんにちは。
私が確か小学2年生の社会の授業の時のことです。
その日の授業は、白地図の色塗りをする、というものでした。
細かい問題はさすがに記憶にありませんが、凡そ
「工業地帯は青、住宅地は赤で、田んぼは緑で、畑は茶色で塗りなさい」
というような問題(課題?)だったと思います。 青、赤、緑、の箇所は滞りなく塗れました。
で、さあ、畑の部分に取り掛かろうと自分の色鉛筆(12色入)を見ても、
「茶色」の色鉛筆が無いのです。困って無い頭で悩んだ挙句、先生に、
「茶色の色鉛筆が無いので、黄緑色で塗ってもいいですか?」
と相談に行きました。
先生は「茶色無いの?」といいながら私の色鉛筆セットを見て、
「ここにあるじゃない。」とおっしゃって1本の色鉛筆を取り出しました。
確かにその色鉛筆には「ちゃいろ」と平仮名で書かれていました。
しかし、どうしても「ちゃいろ」が「茶色」というのに納得が出来ませんでした。
さすがの私でも、その色鉛筆に書かれた「ちゃいろ」というのは読めましたし、色自体も知っていました。もちろん「茶色」も読めました。
しかし、「茶色」の実際の「色」が「ちゃいろ」と書かれた色鉛筆のそれだとはどうしても思えなかったのです。
たぶん、ここまで読まれた方は「?」という感じかもしれません。
当時の私には「ちゃいろ=brown」という認識はあったのですが、
「茶色」に関しては「green tea color」と頭の中ではなっていたのです。
そこで先生に、
「茶色はお茶の色、という意味じゃないんですか?お茶の色は黄緑っぽいと思います。ちゃいろの色は土色じゃないと変です」
とくってかかって先生にたいへんなご面倒をおかけしました。
そうなんです。普段飲んでいたお茶(緑茶)の色が「茶色」と思い込んでいたのです。
実はこのことは今でも腑に落ちない感じがありまして…。
通常当時も現代も「お茶(の色)」と言ったら「緑茶(green tea)」ですよね?
でも、「茶色」となったとたんに「brown」になるのは何故なのだろう?
確かにほうじ茶や麦茶は当時もありましたし、その後登場した烏龍茶も含めてそれらのお茶の色ならば「brown」ではあります。
しかし、これらはわざわざ「ほうじ」や「麦」「烏龍」を「茶」の前につけて呼ぶことで、明らかに「お茶(緑茶)」との区別をつけています。
であるならば、やはり「茶」の色としてのマジョリティはgreen tea側にあるし、「brown」という色を日本語にするうえで「茶」の漢字を使うのなら「ほうじ茶色」とか「麦茶色」にはしてもらえないでしょうかね?
ここまで書きながら、とてもA1な屁理屈な思考と文章であることを改めて感じています。
そんなことを棚に上げながら、普段常識としてしまって疑わずにいることは意外に多いのではないでしょうか?
種目、業種、競技、の中での常識が、その他ではとても非常識だったりもします。
何となく普段やり過ごしていることも今一度見返すと新しい感覚が芽生えて来るかもしれませんね。
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