「理解と感覚」
みなさん、こんにちは。
「テレビ」という機械を知らない方は現代の日本にはほぼいらっしゃらないと思いますし、その使用方法がわからない、という方もしかりだと思います。
仮に、自分が所有しているものと違ったとしても、条件さえ揃えば、電源を入れて、チャンネルや音量を変えて好みの状態で視聴することは、とても容易なことです。
大概のテレビはリモコンで操作するようになっていますし、電源ボタンは上の方にある赤いものをおせばなんていう原則のようなものがあります。
これは、テレビに限らず、家電や機械ものを紹介する雑誌などでもよく使われる言葉として「感覚的に使い易い」ということかと思います。
テレビに限らず、電子レンジも自動車も、一度使い方を理解したら、概ね使い方がわからないことはありません
(もちろん、説明書や何の為の装置か、という表記はありますが)。
以前のブラウン管テレビの映りが悪くなった時は、とりあえず叩いてみたりしました(のび太のママの得意技でもありましたね)。
また、ファミコンでゲームが起動しない時は、一度カセットを取り出してカセットや本体の接続部分に息を吹きかけてみたりもしました(恐らくホコリ等を取り除く為)。
今思うと、根拠のない対処法だったでしょうし、構造上そのようなことで事態が改善されるようには出来ていなかったと思います。
と、余計な話が長くなりましたが、人の体も同じことが言えると思います。
使うことは容易でもそのもの自体の構造やシステムを隅々まで理解しているか?というとそうでは無いことが多いのではないでしょうか?
道具を使わずに行える動作の大半は、教わることなく勝手に始めて、いつの間にか上手くなります。起き方や立ち方、歩き方を初めてするときは教わることは無いですし、その説明の為の言語自体を理解し出す前の段階でのことです。
果たして、トップアスリートのどれ位の割合の人たちが、競技を始めるにあたり骨や筋肉の種類や役割を全て理解してから実際に動くことをはじめるでしょうか?
とりあえず、好き勝手に気持ちよく動ける状態を重ねるなかで、自分にあったものを選択してきた、ことが一流の方たちの共通項だと思います。
そして、その為には
「きちんと立つ」そして「安定」と「連動」
が同様の絶対条件です。
動き方に気を取られずに、きちんと立つことを厳密に行えるかどうかがとても重要です。
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