「便利と準備」
みなさん、こんにちは。
先日、腕時計型のスマートフォン「Apple Watch」なるものが発売される、とのニュースを目にしました。
この手のハイテク機器に疎い私には、子供の頃にアニメか戦隊ヒーローものでみた、キャラクターがロボットを操るトランシーバーにしか見えず、「あれ一つで何でも出来ちゃう凄いモノ」が、いよいよ現実に現れた、という感じです。
ファミコン世代にとっては、つくづく凄い世の中になったなあと思います。
ということで、文明や文化、技術、研究とその成果の発展は日進月歩で、そのスピードも日に日に速まっています。
それも、人類が生活する上での便利さを追求した成果です。
その他にも、ちょっとした困ったことや足りないものがあっても24時間営業しているコンビニがいたるところにあって、それらを解消してくれます。
わからない事や調べ事もパソコンやスマートフォンがあれば、文言だけでなく画像や動画でも知る事は容易なことになって久しいです。
大変有難いことに、このようなもののお陰で「時間」をとても有効に使えるようになりました。
ですが、便利になって物事を楽に進められるようになり、かかる時間を短縮出来るようになったことで「手間」、特に「準備」や「段取り」というものへの意識が薄らいでいるのも確かです。
例えば、旅行の支度をしても、「足りないものがあったら出先のコンビニがあるから大丈夫」という思いで、事前に用意する為に時間を使うことが少なくなりました。
知らない言葉に出会った時、以前はそれがどんなジャンルの単語でどんな意味なのかを辞書や広辞苑などで調べ、より詳しく知りたい場合は図書館や図書室へ行ったり、教えを乞いに人を訪ねる、といった手段しかあり得ませんでした。
しかし、個人的な意見として、やはり手間暇を掛けたものの方がより深く心や記憶にに刻み込まれるように思います。
当日を楽しみにしながら、何日も前から用意をした旅行、時には何日もかかってやっと知る事が出来た物事はいつまでも覚えていられます。
そして、わたしたちが人間である以上、身体も同じだと思います。
「きれいに動く為の準備をしっかりして、正しい動きを身につける為に繰り返し練習する手間を惜しまない」ことでしか身体にはその動きは染み込んでいきません。
「簡単で便利に」上手くなれる方法は存在しませんし、仮にあったとしても極々瑣末な範囲でのことでしかありません。
また、どんな些細なことでもやはり数をより多く重ねた人の方がより上達するのは真理だと思います。
ましてや、
「自然にそう動く」
「無意識でそうなった」
「咄嗟に反応出来た」
といったレベルに到達するには、やはり
「準備」と「手間暇」に時間を割き、
それを体得出来るまで継続し続けるしかありません。
解剖学者で、「バカの壁」など著者とし知られる養老孟司先生は、著書「養老孟司の逆さメガネ」の中で以下のように書かれています。
ー シミュレーションが効かない状況になると、都会の人は「どうすればいいんだ」とかならず訊きます。この質問が出ること自体、「ああすれば、こうなる」が前提になっているじゃないですか。そこで「シミュレーションが効かないんだよ」とまたいうと、「じゃあ、どうすりゃいいんだ」とまた訊いてきます。際限ないんですな、これは。
「シミュレーションが効かない状態がある」ということを、絶対に認めないんですよ。答えをいっときますが、そういう状態になったら、努力・辛抱・根性しかないんですよ、じつは。だけど都会の人はこの三つが大嫌いなんだから。なんとか楽な方法がないかと思ってる。ー
どんなに便利になっても、人の身体では
「キーボードを叩いたら答えが出る」
ようなことは起こりません。いろいろな物や事が簡単に手に入る世の中だからこそ、今一度
「(準備に)手間暇をかける」
ことの大切さを見直す必要があるのではないでしょうか。 |