「意味と疑問」
みなさん、こんにちは。
沖縄から九州地方にかけて大きな台風が接近していますね。
今後も日本列島全域にその影響が予測されています。
被害が最小限でとどまることを願う限りです。
さて、台風とは全く無関係ですが、最近ふと疑問に思ったことがあります。
それは、
「呼吸」という言葉がとても不思議だな、ということです。
念の為、辞書などで意味を調べると、
「息を吐いたり吸ったりすること」
とありました。
・・・まあ、当たり前ですよね・・・。
でも、その意味からすれば、
「呼吸」
ではなく、
「吐吸」
でもよいのではないか?
なぜ「吐」ではなく「呼」なのか?
少し調べてみましたが語源は見つかりませんでした。
・・・仕方が無いので、個人的・妄想的解釈をしてみました。
通常、呼吸は肺にある空気を吐き出し、それにより肺の内圧が低下して
自然に空気が入り込みます。
水泳の息継ぎは、水中で息を吐き切らないと顔を上げた時に上手く吸えません。
また、「過呼吸」といわれる状態は、
息を吐けない→苦しい→「吸わなくては」→でも「吐けてない」ので吸えない
というパニックを伴った悪循環でおこることが多いようです。
「吸う」は興奮を司る交感神経で、「吐く」は興奮の抑制を司る副交感神経で
それぞれ行われていますので、異常に興奮したパニックの状態になると、
息を吐いている余裕は無くなってしまうようです。
このように考えると、言葉の意味では「吸う」と「吐く」は
並列、同等のもののように思えますが、
「呼吸」という動作をよく観察すると、
まず「吐く」ことを行い、その結果「吸う」がおこる
ということのようです。
そこで、わたしなりの勝手な結論。
「呼吸」とは、
「『吸う』を呼び込むこと」即ち「息を吐くこと」ではないか?
少なくとも昔の人は「吸う」より「吐く」を重要視していたのではないか?
「ちゃんと息を吸いたいなら、まず吐きなさい」
というメッセ―ジに思えてきました。
(「呼ぶ」には「引き寄せる」や「来てもらう」の意味もあります)
まず、意識を持って能動的に行える「吐く」を大切にすること、
それにより、物事にリラックスして落ち着いて取り組めますよ、
と勝手に解釈することにしました。
今回は私的な戯言にお付き合い頂きありがとうございました。
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