「軸と自由」
毎回のこのコラムは何かの閃きをきっかけに書かせていただく事が多いです。
そしてそれを考える事が自分は割と好きなのかもしれないなと、最近感じたりもします。
今回も最後までお付き合いいただけたら幸いです。
このゴールデンウィークは静岡県の実家に帰省をし、地元の寺巡りをする事で新緑を全身に浴びてきました。
そこにあったのは樹齢何十年、何百年という太さを持つ幹、それが天高くそびえ立ち、そこから伸びる枝は変幻自在にねじ曲がっています。
根は地面に縦横無尽に張り巡らされ、それがまた地面に様々な隆起を生み出していました。平らなところなど一つもありません。
「なんて独創的で力強いんだろう」と、ただただ圧倒されてしまいました。
これが「自然」、「自由」という事か。
地球の法則、自然界の法則、重力といったものとの調和の結果現れた姿。
正にそれこそが軸ではないかと。
そして全ての動植物はそれを守って生きているのかもしれない。
人間はそれを破って自分でコントロールしようとしている。
だから不自由になっている。
軸を無視して生きようとして、逆に不自由になって苦しんでいるのではないかと。
時を同じくして何かのきっかけで、
「鈴木大拙」という日本を代表する哲学者の本を手にしました。
そこに西洋と東洋の「自由」の意味の違いが書かれていました。
西洋の自由は「フリーダム、リバティ」。
束縛するものや何者かの支配から逃れるという「否定性」を持っている。
東洋の自由は「自らに由る(よる)」もの。
本来の自己、真実の自己のままにという意味を持ち、それを「肯定」し、深めていく事で自分自身の枠をも超越する存在を目指すものだといいます。
何やらレッシュの軸の概念に繋がる気がしませんか?
昨今は西洋的な自由のみが叫ばれ、自分勝手な風潮が強いように感じます。
人間も自然の一部である事を改めて感じ、その法則に従う事が自分自身を活かす事になる。
軸は混沌としたこの社会を救う救世主になり得るかもしれません。
今回は軸と自由について書かせていただきました。
最後までありがとうございました。 |